2012年3月23日金曜日

浦安市郷土博物館

3/20は実家から近い浦安市郷土博物館にも寄りました。


屋外展示場「浦安のまち」。
子供の頃、祖父の家が境川のほとりにあって、
当時は僅かながらもこんな建物が残ってました。
この再現された街並みの雰囲気は結構懐かしいです。


昔の浦安の地図です。
南北が逆に描かれていて、右の東側には都県境の旧江戸川が描かれています。
写真では分かり辛いですが、地図中央を横切る川の向こう南側に「沖の百万坪」という、
弁財天以外は何もない一帯が広がっています。僕はどうやら沖生まれの沖育ちのようです。


いつも気になる昔の浦安の干潟を再現したジオラマ。
この写真だと見えませんが水平線の向こうに薄っすら山があって、
右側の山が三浦半島、左側に房総半島の山が描かれています。
つまりこれ、「沖の百万坪」以南から見た東京湾の干潟の風景という事になると思うのですが、
もしかしたらこの干潟は僕の実家からすぐ近くの場所ということになるのかも。。


様々な漁具などが展示されているほか、浦安に生息する魚の水槽や船の展示など、
江戸前の海産物好きには興味深いところです。

2012年3月22日木曜日

3/20の干潟

3/20は実家方面に用事があったので、
そのついでに久々に干潟に行きました。




















最高気温が13℃と体感的にはそれほど寒くなかったですが、
水は冷たかったです。

マサゴハゼ 2012年3月20日





















魚がいないか探しましたが、
マサゴハゼしか見つけられませんでした。
道具を使わずに目視のみで探したので、
まあこんな結果になることは予想してましたが。




















カキとタマキビ。
この干潟にはトビハゼも生息していて、
例年であればそろそろ冬眠から目覚めて出現する頃だと思うのですが、
本日は気温が低いためか姿が見られませんでした。

2012年3月11日日曜日

東日本大震災より一年

昨年の東日本大震災から一年。

東日本大震災に被災された皆様に改めて心よりお見舞い申し上げます。
被災地の皆様に、一刻も早い復興を心よりお祈り申し上げます。

今回はこの震災当日の僕の出来事を記したいと思います。
震災時の個人の行動記録として見ていただけると幸いです。

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僕の勤める会社は都内ビルの2フロアに入居していて、
自分のデスクがあるフロアは2フロアある内の上階にあります。
ちなみにこのビル自体は消防法上の高層建築物にあたります。

2011年3月11日、この日はちょうど社内のレイアウト変更を行う日でした。
いつものように9:30に出勤し、自分の仕事をある程度片づけて、
10:30頃からレイアウト変更作業を始めました。

2フロア全体のレイアウト変更が必要なので、
作業は什器備品の上階下階のフロア間移動を伴います。
数人でエレベーターを使用してモノを運ぶのですが、
大きなキャビネットなどをエレベーターに入れるのは非常に手間取りました。
長い時間エレベーターを作業で占用してしまったので、
他フロアに入居している会社からは「エレベーターを早く使わせて下さい」と
クレームも入るありさまでした。

また、モノによっては一度はエレベーターに乗せたものの扉か閉まらず、
止むを得ずビル外側の非常階段を使って運んだ什器などもあったのですが、
その非常階段での上げ下げもまた非常に大変で、
階段の踊り場では一時的にキャビネットを仮置きするなどしていました。

これらすべて地震3時間前に行った作業です。
もし午前中でなく午後に作業していら如何なっていたことか・・・。

お昼前までには必要な什器備品のフロア間移動と設置がすべて終わったので、
昼食休憩の後、13:00からはレイアウトに書類などを収納する作業を行いました。
書類の収納は業務の資料検索の効率にかかわるので疎かにせず、
一つ一つ丁寧に書類を収納整理し、14:15頃には一区切り終えていたと思います。

作業を終えて一息付き、自分のデスクで通常業務を始めて間もなく、
グラグラとビルが揺れました。
その揺れ方が尋常ではないことは揺れ始めてすぐ理解しました。
この時に自社の2フロア全体に居たのは十数名で、
うち自分のデスクがある上階フロアには僕を含めて6名が居ました。

僕は一応、会社の防火管理者なのですが、この時とっさにとった行動は、
避難路確保のためのビル外側の非常階段に繋がる2つの非常口扉の開放でした。
ビルが歪んで扉が開かずに逃げられなくなってはどうしようもないと思ったのです。
激しい揺れ中、身がよろけそうにながら非常口へ辿りつき、扉を開けました。
そして非常口の外に出て避難路となる非常階段が正常に使用できるか確かめながら
そのまま下階に行って、そのフロアの非常口扉も外から開けました。

非常階段からは、眼下の街の様子が分かります。
会社の正面には皇居につながる国道があるのですが、
車は異変に気付いてかやや減速気味に走っていて、
歩道を歩いていた人は立ち止まっていて不安そうに辺りの様子を窺っているようでした。
電柱や信号機が激しく揺れ、周囲の立ち並ぶビルも目に見えて揺れています。
点在する古いビルからは砂埃のような煙も出ていました。
あまりに激しい揺れだったので、会社のビルはひょっとして倒壊するのでは?と、
この時始めて恐怖を感じました。

地震の揺れは収まることなく、いっそう激しくなってきて、
上階フロアの方でガラガラ、ドスドス、ガチャーンと什器が倒れる音がしました。
この時自分は上階フロア非常口扉付近に戻ったのですが、
フロア内の様子はパーテーションで遮られているので非常口からは全く見えません。
激しい揺れと什器が倒れる音で身がすくみました。

上階フロア内に居たのは僕以外の5名でしたが、
いつの間にか非常口には3名が避難して来て、
残り2名がフロアに残されていました。
僕はフロアの中に残った人の安全が気掛かりだったので、
激しい揺れの中、フロアに入ってパーテーションの向こうを覗きました。
しかしそこに見えたのはフロア内通路を塞ぐように倒れた設置したばかりの什器や、
つい先ほどまで丁寧に整理収納したはずの書類の散乱の数々でした。
実はこの日は転倒防止の留め具を用意してなかったのです・・・。

フロア内の通路がこれら転倒物で塞がれているうえ今にも倒れそうな什器もあって、
フロア奥深く入るのはあまりに危険だったので僕はそれ以上の立ち入りを断念ました。
そこで中に居た人に向けてとっさに叫びました。
「棚が倒れるから気を付けて~!!」「揺れが収まったら逃げて~!!」と。
何度も何度も叫んでいました。

地震の揺れは非常に長く感じました。あまりに長い揺れでしたが、
その揺れもだんだんと弱くなり、残った什器の転倒の恐れもなくなってきたので、
ここでやっとフロアの中に入って残り2名の無事を確認しました。
2名は机の下で安全を図っていたとのことでした。
そして皆でそのまま非常階段を駆け下り、屋外の道路に出ました。
周囲のビルからも続々と人が退去してきて、ビル倒壊の恐怖心からか、
皆でビルから距離をとって国道の中央分離帯の植込みまで避難しました。

屋外の道路の上でもその後の弱い余震を何度か感じましたが、
身の回りの品をだれも持ってないことに気付きました。
避難するのに夢中だったので、僕は携帯電話までも職場に置きっぱなしでした。
このまま何も所持してなかったら帰宅するのもままらなないと思ったので、
ビルのエレベーターが止まっているのを確認し、
安全を見計らって非常階段を駆け上がってフロアに戻り、
カバンやコートなどの身支度品を用意してまた外に出たりと、
何度か往復したのを覚えています。

最初に屋外に避難・待機で過ごしたのは30分~1時間位だったと思いますが、
正確な時間を覚えていません。
16:00頃にはビル内のフロアに戻っていたと思いますが、
しかし余震のたびに恐怖で皆で非常階段の方へ退避するなどしていました。
フロア内は什器や書類などが酷く散乱していましたが、
片づけても余震でまた転倒・再散乱の恐れもあったので、
これらの片付けは室内の安全確保を中心とした必要最低限にしました。

幸いなことに電気・通信・水道などは通じていたので、
妻と連絡を取るべく携帯電話で掛けましたが、案の定繋がりませんでした。
そこで会社固定電話で掛けると7回に1回くらいの割合?で繋がり、
妻と子どもの無事を確認しました。
その後は自分の携帯バッテリー残量が心配だったので
会社のPCから妻の携帯にメールで連絡を取ったのですが、
PCのインターネットやメールは通常の状態で使えました。
山手線が運転を見合わせている情報を知ったのはこの頃で、
僕はここで今日は家に帰れないことを覚悟しました。

あれこれする間に皆少しずつ落ち着きを取り戻してきたところ、
PCモニターでテレビ受信ができる機器が社内にあることに気付きました。
さっそく皆でテレビをつけて見たのですが、最初に画面に飛び込んできたのは・・・、
発令中の津波警報とあの恐ろしい津波の映像でした。
家や田畑や車を飲み込む津波の映像は非常に鮮明に強烈でした。
改めて尋常ではない事態に置かれているという事に気付くと同時に、
映像を見て言葉を失いました。
ニュースでは「福島にある原子力発電所が・・・」という言葉も聞きました。
だれも言葉にしませんでしたが津波と原発を皆誰もが心配していたと思います。

そして夕方になった頃、今夜の食料が心配になったので
近くのコンビニに買い出しに行きました。
パンやおにぎりは既に売り切れていて、
カップラーメンや総菜・おつまみなどがまだ残っていたので、
翌朝分までの全従業員2食分をまとめて買って、皆で社内で夕食を取りました。
そしてだれも帰宅できず待機のまま深夜を迎え、インターネットとテレビをつけっぱなしのまま、
椅子やダンボールなどを利用して各々就寝するのですが、
緊張状態で浅い眠りの中、余震や緊急地震速報のたびに皆で起きてしまいました。

結局、そのまま翌朝を迎えました。
鉄道再開の情報が続々入っていたので、社内の各々が帰宅して行きました。
自分の帰宅経路の鉄道情報も随時インターネットで確認していたのですが、
経由するターミナル駅が大勢の帰宅者で大変な混雑になっているとの情報が入っていたので、
様子見のためすぐには帰宅せず、社内に最後まで一人で残りました。
結局、会社を出たのは11:30頃になっていました。

帰宅の際は、無用な混雑に巻き込まれるは避けたかったので、
混雑情報が入っていた普段経由するターミナル駅では敢えて下車せず、
平時の通勤では一度も使った事のない迂回する路線で帰ったのですが、
お昼過ぎにもかかわらず電車内は帰宅者らで満員でした。
電車に乗っている途中には川を渡るための鉄橋が幾つものあるのですが、
その橋を渡るたびに「地震で橋が落ちませんように」と心の中で何度も祈ってました。

自宅に無事に帰宅したのは13:40頃でした。
家族が皆無事だったのが、まず最初に何より嬉しかったです・・・。

2012年3月5日月曜日

少年野球の審判講習会

先日、市内少年野球連盟の審判講習会に初めて参加しました。

所属する少年野球チームから参加依頼があったので受講したのですが、
そもそも自分が少年野球チームのコーチ加入したのは、
我が子が所属しているので一緒に身体を動かしたいというのが最大の理由と
多少の野球経験者であることが動機で(ちなみに野球というスポーツのファンではあるけど、
好きなプロ野球選手とか球団とかは無いです)、
審判については関心も無いしあまりやりたくもないというのが正直なとこでした。
受講はチーム運営上まあ仕方ないかなという、半ば義務的な気持ちで受けたのですが、
・・・受講して分かりました。これは参加して良かったです!

公式審判員の講義による座学と実技の2日間を行ないましたが、
初めて受講組のほか、過去に受講経験のある方も当然いて、
毎年の細かなルール改定による理解を深めることの必要性を改めて思い知りました。

教わったのは一・二・三塁審および主審の基本的なことだけなので、
これだけで審判を務める技量など到底習得できませんが、
微妙なケースやプレーによるジャッジなど、
普通の野球の知識では知らないようなルールがあったりして面白かったです。
試合中の審判の動きなどは本当にとても奥深くて、
これはひょっとして練習試合なんかで場数を踏んでしまったら
ハマってしまうかも?と思ってしまったほどでした。

本当に受講して良かったです。

2012年3月2日金曜日

小岩 JOHNNY ANGEL

久しぶりのブログ更新です。

今まで休日メモを書いてましたが、
なんだか面倒になってきたのでちょっと休止します。

2/25(土)は、十数年ぶりに小岩にあるライブハウス「JOHNNY ANGEL」に行きました。
学生の頃に良く行っていたライブハウスの一つで、
いわゆるOldiesの生演奏が聴けるライブレストラン&バーです。


Oldies系のライブハウスにはたまに行くのですが、
今回は初めて妻と子供を連れて入りました。
しかも演奏はOldiesでなくウチの子供も大好きなBeatlesです。

Beatlesバンドの生演奏を聴く機会も実は良くあるのですが、
今回演奏したバンドはメンバーの内の2人が僕が学生に知って活躍しているプロの方で、
今でも変わらず活躍されているのが嬉しかったです。
(当時からのお客さんも何名かいらっしゃったのでちょっとびっくりしました。)

子供を連れて行くにあたり、お店には前もって電話で問い合わせして
子供も入店可能との返事を貰っていましたが、
生演奏で音量も大きいので、子供の反応が少し心配でした。
案の定、最初の内は音量に慣れずに煩そうでしたが、
数曲聞いているうちに慣れてきたらしく、知っている曲には目を輝かせて聴いていました。
子供自らリクエストした曲も数曲聴くこともできて、
子供にとってもまあ良かったかのかな、と思ってます。

ちなみちょっと地元ネタですが、
このライブハウスのハコバンはOPEN当初からしばらく
バックボーンズというOldiesバンドで、当時は良く聴きに行ってました。
最近はあまりこのライブハウスには出演されてないようですが、
このバックボーンズ、地元柏で毎年夏に行われている豊四季台団地ふるさと祭りという
イベントで無料ライブ演奏してくれるので、実は毎年楽しみにしています。

でも豊四季団地は建物の老朽化で建替えが進んでいて、
今後の開催はかなり微妙のようです。
今年も彼らが来たらぜひ聴きに行きたいと思ってます。